1789キャスト別感想①礼真琴ロナン

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1789のキャスト別感想です。今回はロナンの礼真琴さんについて。

ちなみに前回のざっくり感想はこちら↓

礼真琴ロナン

めっっっっちゃくちゃよかったです。今回の1789を見て、星組生って本当に歌も演技もダンスも上手だなあと思ったのですが、その中でも礼真琴さんは異次元ですね。本当に1人だけ違う。礼真琴さん、一体どこまで行ってしまうんでしょうか……。

どこまでも普通の少年

今回の礼真琴ロナンを見て思ったのは、ロナンは良い意味でどこまでも普通の少年ということです。

これまでの龍真咲ロナンや加藤和樹ロナンには、とにかく「父親を殺されて、貴族を恨んでいる猪突猛進青年!」という印象を受けたのですが、礼真琴ロナンは一味違いました。小池徹平ロナンもちょっと礼真琴ロナンのような少年っぽさがありましたが、礼真琴ロナンはもっと突き詰めていた感じがしました。

礼真琴ロナンには迷いがあります。父親を殺されて、土地も奪われて、パリに行くしかない。でもパリに行っても、どうしたら良いかわからない。革命家たちと出会って、新たな思想を知り、熱中しますが(『パレ・ロワイヤル』がその頂点だと思う)、妹のソレーヌは娼婦になってるし、監獄に入れられてペイロールからは「革命家たちはブルジョワのボンボン、貴族が羨ましいだけで、お前ら平民のことなんて考えていない」と言われ、再び迷い始めます。「自由・平等」は誰のものなのか?本当に革命家たちを信じても良いのか?そこでロナンは革命家たちとぶつかります(『自由と平等』)。さらにその後オランプと思いを確認し、身分の違いを乗り越えてこの恋を成就させたいと思う。しかしこの時点でもまだ礼真琴ロナンは革命に身を投じるかどうか迷っています(ここで一幕終了)。球技場の誓いのシーンで、やっと革命家や平民の熱意に動かされ、革命に身を投じる覚悟を決めます。ここでやっと礼真琴ロナンは1つの答えを出せたのです。

ただただ王や貴族を憎み、けれどどうしたら良いか分からず途方に暮れていた1人の少年が、都会に出て新たな思想・仲間たちに出会い、葛藤しながらも、最終的には彼らに加わるという結論を出す。いや、「彼らに加わる」という以上の結論ですね。礼真琴ロナンは自分の尊厳に気づき、「自分が世界を変えるのだ」という覚悟を決めています。自分が世界を動かす、自分の運命は自分で切り拓く。

……とここまで書いていて、ロナンってちょっと『ベルサイユのばら』のオスカルと似ているなあと思いました。オスカルも身分違いの恋愛に悩みつつ、新たな仲間(ベルナールやアラン、ロベスピエール)と出会って革命思想に共鳴し、身分を捨てて革命に身を投じることを決める。ちょっと似てますね。

話を戻しますが、こうして考えると今回の1789は1人の少年の成長譚として見ることができると思います。そこには、個人的なルサンチマンを社会の不平等な構造に求めるという転換もあります。これこそがほぼ全ての社会運動や革命に通じる、個人の心情の変化ですよね。

賢い妹、未熟な兄

ロナンは、個々の人間の悲しみや恨みから社会の変革を考えるようになったわけですが、ここで面白いのが妹のソレーヌとの対比です。

今回の1789を見ていて思ったのは、ロナンよりもソレーヌの方が賢くて、ちゃんと現実を見極めているなと。大体、「俺たちには何も残されていない……だから俺はパリに行く!親父の仇をとってきてやるぜ!」って、ソレーヌからしたら(本編でも言ってましたけど)「置いていかれた私はどうなるの!?私はお兄ちゃんの頭の中にないの!?」って感じじゃないですか。ロナンはそこまで考えてないんですよね。それなのに、ソレーヌが娼婦になっているのを見て「個人の尊厳を守れ!」みたいなことを言って落ち込む。ちょっと自分勝手だなあと思います。

対するソレーヌは、しっかり自分の足で歩くために娼婦という職業を見つけたわけです。これまでのソレーヌ(特に東宝のソニンソレーヌ)には、「身を落としてしまった」という悲壮感が強く感じられたのですが、今回の小桜ほのかソレーヌにはあまりそれを感じませんでした。どちらかというと、しっかりと現実を見極めて、自分の力で食べていっている。そういう自負心のようなものが伺えました。セックスワークについては色々議論があると思うのですが、今回の小桜ほのかソレーヌは「娼婦だから何?私はちゃんと自分の足で立っているのよ!」という矜持を感じました。

だからこそ、礼真琴ロナンの良い意味での「普通さ」が際立っていました。「娼婦=堕落した、個人の尊厳を捨てた」という思い込みを持っていること自体が、ロナンという少年の未熟さを示しているようもでありますよね……。もっと現実は複雑だけど、『パレ・ロワイヤル』のシーンの時点では、ロナンは「人間は生きる尊厳が大事!」と半ば熱に浮かされているので、ソレーヌのこともそういう目でしか見れない。けれどソレーヌは最初から広い視野を持っています。

そして、ロナンが革命家たちの熱意に動かされて半ば感情的に革命に身を投じるのとは反対に、ソレーヌはしっかりと革命家たちの話を聞いて、頭で理解しています。伝統的なジェンダー観では、男性=理性、女性=感情、となりがちですが、ロナンとソレーヌの場合は反対になっているのが面白いなと思いました。小桜ほのかソレーヌについてはまた今度別な記事にまとめます!

自由と責任

これまでの1789を見ると、正直いつも「ロナンがあっさり死にすぎ……」と思ってしまっていたんですよね。もちろん、ロナンがいたからこそバスティーユが陥落できた=フランス革命が始まった、というストーリーではあるのですが、どうしてもここに至るまでの経緯を考えると、「結局死ぬのは平民で、やっぱりこの革命はブルジョワのためなの?」と思ってしまうこともありました。でも今回の礼真琴ロナンを見て、初めてロナンが死ぬのが納得できたというか、すっと入ってきました。

自由には常に責任がつきまといます。自由になるということは、それについてくる結果も受け入れなくてはいけないということ。特に今回のひろ香祐ルイ16世は国民を思う優しさに溢れていて、「この国を代表する=責任をとるのは私1人。平民たちは過激な思想に毒されている。守ってあげなくては」という感じだったのではないかなと思います(もちろんそのあとヴァレンヌ逃亡しちゃうわけですが、この時点ではこうだった!ということで)。

ロナンは守られることを拒み、自分1人の力で立っていくことを選びます。だからこそ、死もつきまとう(いや、もちろん国王に守られていたから死なないというわけではないし、父親は殺されてしまったわけですが)。今回の礼真琴ロナンを見て、ロナンが最後に死ぬのは、身分に関係なく、1人の尊厳ある人間として生きていくという意味なのかなと思いました。

とにかく納得できた

個人的には、礼真琴ロナンが歴代の中で一番納得できるロナンでした。どこまでも悩み、葛藤する普通の少年。でも最後には尊厳をもった1人の人間として生きていくことを選びとる。自分で人生を選択することができた、というのがとても大きなポイントなのではないかと思います。

「なぜ?」にやられた

ここまで書いていて書き忘れたことに気づきました!

オランプが「アルトワ伯はあなたを血眼で探すに違いないわ!」といったところで、ロナンが「なぜ?」と返すところ、最高でした……。これまでのロナンは「なぜ?」と直球に聞く感じがあったのですが(伝われ〜)、今回の礼真琴ロナンは、その声の調子からも「自分はオランプに惹かれているけど、彼女は自分のことが好きなんだろうか?」という迷いが感じ取れます。さいっっこうでした……。

礼真琴ロナンの「なぜ?」で一瞬にして劇場の雰囲気が変わりましたよね。あそこ、伴奏がついていたら一気にコードが変わるところですよね……。『ひかりふる路』のラスト、ロベスピエールとマリー=アンヌが、「もし革命がなく出会っていたら幸せになれたのではないか」と想像し、「いや、そもそも革命がなければお互いのことを知ることすらなかった」と突き放す、ひんやりとした感じに似ていました。「なぜ?」という2文字だけ、しかも礼真琴さんの声だけなのに、多彩なオーケストレーションが聞こえてきました。1人の人間の声にここまでたくさんの色を聞いたのは初めてです。恐るべし、礼真琴……。

まとめ

長くなってしまいましたが、とりあえず礼真琴ロナンについてはこんな感じです!

ここまで解釈の余地を生んでくれる礼真琴さん、本当にすごいですね。作者/演者の意図を離れた解釈を生み出すことができるというのが優れた芸術作品の証なのではないかと個人的には思っているのですが、今回はまさにその最たるものでした。

これからもどんどんキャスト別感想続きます〜!

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今からでも遅くはない!ananの星組特集です↓

とりあえず、まずは一冊読んで欲しい『小説フランス革命』。1789をまた違った視点から見れるはずです!

多分、私が一番推している映画。1789のその後、革命家3人が決裂していく様子が描かれています。

絶望に突き落とされてください!

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