菅原道真と紀長谷雄はいつから親しかったのか?

月夜に梅花を見る宝塚作品考察

こんにちは。『応天の門』では文章生の頃の菅原道真(演:月城かなと)が描かれており、紀長谷雄(演:彩海せら)と友人という設定になっていますが、実際のところはどうだったのでしょうか?本日は道真と長谷雄の友情について検証していきたいと思います!

2人のプロフィール

菅原道真

菅原道真(845-903)は代々学者というエリート一家に生まれ、幼少期から恵まれた環境で勉学に励んでいました。本人の才能と努力ももちろんのことですが、彼が学者・政治家として成功したのは(その後は失脚しているわけですが)周囲の環境と理解の賜物でもありますね。

紀長谷雄

一方、紀長谷雄(845-912)は学問を志しながらも、援助してくれるひとや良き教師に恵まれなかったといいます。長谷雄がようやく師である都良香に出会えたのは868年のことでした。道真は前年の867年にはすでに文章得業生となっています。

つまり、道真が文章生であった862-867年頃はまだ長谷雄は師にめぐりあえず、一人学問に向かう日々を送っていたということになります。長谷雄は862年、18歳になってようやく「文章を綴ることができるようになった」そうです。

長谷雄は道真とは異なりかなり苦労していたのですね。もちろん道真にはまた違う苦しさやプレッシャーがあっただろうけど!

長谷雄の生涯については、筑波大学の名誉教授であられた井上辰雄先生が「紀長谷雄—節操の文人—」という論文を書いています。気になった方はぜひ読んでみてくださいね↓

https://www.jiu.ac.jp/files/user/education/books/pdf/648-15.pdf

史実では……

では2人はいつから親しかったのでしょうか?

これは史実的には、長谷雄が文章生あるいは文章得業生になった頃(876-881年頃)からだと言われています(井上, 2008, p.34)。道真は877年には文章博士になっていますから、教師と生徒という関係性だったのですね。この頃にはもうすでに2人は30歳を超えています。

もしかすると?

ここからは、「でももしかするともっと若いときに2人は出会っていたかもしれない」という妄想です。

菅原家は私塾(菅家廊下)を開いていましたから、もしかすると若き日の長谷雄が師を求めて菅家廊下を訪れたこともあったかもしれません。

また、長谷雄は868年に都良香に出会っていますが、この頃都良香は道真と同じく文章得業生でした。もしかすると都良香経由で道真と知り合う、ということもありえたかも?

おわりに

長谷雄と道真が意気投合したのは30歳を超えてからというのが通説のようですが、もしかしたらそれ以前にもどこかですれちがっているかもしれませんよね……!

『応天の門』ではどこか抜けているような印象のある長谷雄ですが(褒めてる)、実は『竹取物語』の作者なのではないかと言われるくらい優秀な人物です。長谷雄について調べていたら面白いエピソードをたくさん見つけたので今度ご紹介しますね。

それではまた次回お会いしましょう〜!

参考文献

井上辰雄(2008)「紀長谷雄—節操の文人—」『城西国際大学紀要』16(2), pp.29-47.

https://www.jiu.ac.jp/files/user/education/books/pdf/648-15.pdf

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