『2人だけの戦場』疑問点

2人だけの戦場2人だけの戦場

今回は、花組公演『2人だけの戦場』を見て疑問に思ったことを記していきます。管理人はチキンすぎるあまりコメント欄を解放していないのですが、もし私の疑問点に関してコメントがあるよ〜!という方がいたらtwitterの方でコメントいただけると嬉しいです!まだまだ宝塚に関して(世界に関しても)知らないことばかりですので、温かい目で見守っていただけたらと思います🙏

前回のざっくり感想はこちら↓

なぜすぐに裁判にならなかったのか?

シンクレア(演:柚香光)はクェイド少佐(演:航琉ひびき)を殺害してしまったため、ルコスタを出発します。このとき、シンクレアは「もし内戦が起これば戦争に参加し、内戦にならなければ裁判で裁かれるだろう」というようなことを言っています。

このあたりよくわからないのですが、現実世界でも戦いが起これば裁判は後回しにされてしまうものなのでしょうか?

それから、クェイド少佐はそもそも上官であるハウザー大佐(演:凛城きら)に銃をむけているため、ハウザー大佐を守るための正当防衛だったという論理は成立しないのでしょうか?もちろんこういうった主張は検事(演:峰果とわ)によって却下されるわけですが、普通に考えてシンクレアの罪を通常の上官殺害とみなすのは無理があるような……と思ってしまいました。

ライラは兄たちの活動を知っていたのか?

ライラ(演:星風まどか)がどの程度兄たちの活動を知っていたのかが気になりました。何かをシンクレアに隠していたのか、それとも本当に何も知らなかったのか。いまいちライラの心情がうまく追えませんでした。まだ1度しか見ていないので、何度も見れば印象が変わるかも。

クェイド少佐の死の重さ、の耐えられない軽さ

シンクレアはクェイド少佐を殺してしまったあとにパニック状態に陥るのですが、そのとき彼が気にしていたのは「クェイド少佐という1人の人間」を殺してしまったことではなく、「クェイド少佐という上官」を殺してしまったこと。

シンクレアが後悔の念を向けるのは一人の人間ではなく、組織の一部となってしまったただの「上官」なのです。

このように人間から顔をなくし、あくまでも全体の一部としてしまうのが軍国主義のようでもありました。

『2人だけの戦場』は、一触即発状態の土地にいきる様々な人間の生き様を描いていますが、どうもクェイド少佐は「人間」としてあまり描かれていないような気がします(航琉ひびきさんの演技はとても良かったです)。

クェイド少佐は話の通じない、武力制圧を主張する融通のきかないお堅い人間のように描かれていることに少し物足りなさを感じました。もちろんこの作品の時系列では描かれていないだけで、実際にはシンクレアが来る前にハウザー大佐とクェイド少佐は熱い議論を交わしていて、それでもどうにもならないと匙を投げてしまった可能性もありますが、『2人だけの戦場』の主役はシンクレアです。シンクレアとクェイド少佐がもう少し対話するシーンがあっても良かったのかなあと思います。

いろいろ考えてみましたが、私のもやもやは「クェイド少佐が顔のない悪役のように描かれていること」に尽きるのかもしれません。そもそも、戦争というのはグレーゾーンを許さず、敵か味方かという単純な二部法に陥ることが一因となって引き起こされると思います。クェイド少佐の内面の揺れをあまり出さないことにより、クェイド少佐=悪、殺してもしょうがない存在、というような雰囲気が醸し出されていることが少し残念です。ライラやアルヴァ(演:希波らいと)の心情が深く掘り下げられているだけに、クェイド少佐をもっと知りたかったと思ってしまいます。クェイド少佐をもっと描くことによって戦争とは何かということを深く考察できる気がするんだけどなあ。

それから、「クェイド少佐を殺したことによって他の多くの命を救った」という主張も少しもやもやしました。もちろんそうなんですけど、命は数では測れないですよね……。戦場の死は数によって表される。しかし死は数ではなく、一人一人異なった「死」があるわけです。正塚先生自身が、「反戦というよりかは恋愛物語を描こうと思った」と述べているため、別にこれでも良いのかもしれませんが、もっと反戦を掘り下げるのであれば、こうした「数によって表される死」にももう少し考察が加えられるべきだったのではないかと思いました。

ただ、ここで思い出したのはチャップリンのかの有名なセリフ、「1人を殺せば犯罪者だが、100万人殺すと英雄になる」です。『2人だけの戦場』では、「シンクレアは1人を殺したことによって英雄になる」というような主張がなされています。うーん逆説的。

シンクレアのその後

それから、もっと作中で描いてほしいと思ったのは、シンクレアがルコスタを出発して内戦に参加しているときのことです。平和という理想に燃えていたのに、現実のままならなさを知り、結局は多くの人々に銃を向けることになってしまったシンクレア。どのように内面が揺れたのか、もう少し具体的なシーンがあっても良かったかなと思いました。冒頭と最後の疲れ切ったシンクレアの姿から想像できないこともないんですが、もっと詳しく知りたかったな。シンクレアにとって、内戦は語り得ぬぽっかりとあいた穴のようなものであり(それほどのトラウマを負っている)、語らないことによって語るという方法をとっているという可能性も否めませんが……。

おわりに

結局、シンクレアはライラとの交流によって何を成し遂げたのだろうか?という問いをいつまでもぐるぐると考えてしまいます。

クリフォード(演:永久輝せあ)は、シンクレアによって即時内戦が回避されたと主張しますが、結局内戦は起こってしまったわけです。数の論理でいえば、もしクェイド少佐がルコスタを武力制圧していれば、内乱が起こらなかった可能性があるわけですから犠牲者の数が少なくなっていた可能性もあるはずですよね(もちろん不満は燻っていたと思いますが)。そう考えると、シンクレアの上官殺害という行動が多くの人間を救った、という数の論理で対抗するのは少し違うのではないかと思ってしまいます。というか、やっぱり数の論理で何かをジャッジするの自体やめた方が良いよ。それはヒューマニズムではない、と思う。

う〜ん、難しい。ていうか法廷では上官殺害を裁いているけど、戦争犯罪は裁かなくても良いの?とか、また新たに疑問が生まれてきます。

『2人だけの戦場』、考えれば考えるほど奥の深い作品です。なんだかまとまりませんでしたが、記録として記しておきます。

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ちなみに私のように『二人だけの戦場』に感銘を受けたかたにおすすめなのがこちらの本、『男役の行方: 正塚晴彦の全作品』。『二人だけの戦場』をはじめとした正塚作品が解説されています!『愛するには短すぎる』についての章もあるので、雪組全ツに向けて読むのも良いですね◎ 私も読んでみよう。

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