『カジノ・ロワイヤル』ひやひや感想

カジノ・ロワイヤルカジノ・ロワイヤル

これまでツッコミ感想ざっくり感想をお届けしてきましたが、今回はひやひや感想です。

宙組公演の『カジノ・ロワイヤル』は、冷戦期を舞台にフランスの5月革命も巻き込んで英国諜報部員ジェームズ・ボンドの活躍を描くという内容です。冷戦期に革命、この時点で香ばしい匂いがします。実際、上演中には随所に危うさを感じたのですが、タカラヅカらしく深くは踏み込まないという、いつも通りの微妙なバランスが保たれていました。このあたり、ウエクミ先生だったらどういう風に描くんだろうか、と思わずにはいられません。本日は『カジノ・ロワイヤル』を観劇して考えたことをつらつらと述べていきたいと思います!

冷戦と学生運動

説明するまでもないと思うのですが、冷戦とは第二次世界大戦後に勃発したアメリカを中心とする資本主義陣営とソ連を中心とする社会主義陣営との間の静かかつ熾烈な対立のことを指します。アメリカとソ連が直接対決することはありませんでしたが、代理戦争や宇宙開発競争が起こったりと、核を用いた第三次世界大戦の勃発を危惧させるような緊張状態が続いていました。

本作『カジノ・ロワイヤル』の舞台は、まさにこの冷戦期。しかも、パリで5月革命の起こった1968年と指定されています。ざっと登場人物をおさらいしましょう。

ジェームズ・ボンド(演:真風涼帆)

イギリスの秘密情報部員。秘密情報部「MI6」に属し、コードネーム「007」を持つ。

フェリックス・ライター(演:紫藤りゅう)

アメリカ、CIA(中央情報局)のエージェント。

ルネ・マティス(演:瑠風 輝)

フランス国家安全保障局のエージェント。

ミシェル・バロー(演:桜木みなと)

フランスの学生。学生運動のリーダーでデルフィーヌの恋人。いろいろあってル・シッフルの手下になる。

デルフィーヌ(演:潤花)

ミシェルの理念に共感し、パリで学生運動に身を投じる。ソルボンヌ大学の院生。実はロマノフ家の次期後継者。

ル・シッフル(演:芹香斗亜)

ソ連の秘密警察「KGB」のエージェント。ロマノフ家再興という野望を持っている。

ゲオルギー・ロマノヴィッチ・ロマノフ大公(演:寿つかさ)

ロマノフ家の末裔。

ここで注意しておきたいのは、ル ・シッフルはソ連のエージェントでありながらも、社会主義革命前の王が支配する世界に戻し、自分が王になりたいと思っていることです。本当に社会主義を志向している(?)のはフランスのミシェル、そしてロマノフ家の末裔のデルフィーヌの方です。

冷戦といえば資本主義vs社会主義ですが、本作では資本主義=ジェームズ・ボンドvs社会主義=ル ・シッフルとはいかないのがポイント。原作小説では敵と味方がわかりやすく分かれている印象でしたが、宙組公演では、パリの学生運動やらロマノフ家やらをいれたことによりかなり複雑になっています。

一度の観劇で理解するのは結構難しいのではないでしょうか。

ナリョナリズム

作中では、ジェームズ・ボンドとフェリックス・ライター、ルネ・マティスがそれぞれイギリス、アメリカ、フランスという自国の良さを歌い上げるシーンがあります。このシーンによってそれぞれの個性もわかりますし、単なるお国自慢的な感じかもしれませんが、「ナショナリズムだ……」と思ってしまって少しひやひやしました。

しかしその後ジェームズ・ボンドはイルカを例にとりながら世界平和を祈ります。ナショナリズムと世界平和は対立しないのだろうか……?それぞれの国の個性を尊重しつつ、平和にやろうね!ということなのでしょうか。

独裁者の影

まず、映像だけですが実在の独裁者が出てきます。ヒトラーやスターリンが出てきて本当にびっくりしました。まさか宝塚の舞台でヒトラーの顔を見ることがあるとは……!

ドクトル・ツバイシュタイン(演:若翔りつ)はかつてヒトラー等に仕えたという設定の科学者です。ツバイシュタインって、絶対にアインシュタインからとってきていますよね。アインシュタインはドイツ語で「1つの石」という意味ですが、ツバイシュタインは「2つの石」。石の数が増えているのでツバイシュタインの方が強そうですが、実際には数々の失敗を犯しています。

また、名前の由来となっているであろうアインシュタインはユダヤ系で、ヒトラーに追われてアメリカに亡命しています。「ツバイシュタイン」という名前を聞いたときに、第二次世界大戦と科学者との関係とか、ヒトラーとアインシュタインとの関係を一気に想起してしまいましたが、本作ではツバイシュタインはコメディ要員。一見深刻になりそうなテーマを絶対に深刻にさせないタカラヅカマジックが見られました。

ちなみに、アインシュタインが学んだチューリッヒ連邦工科大学には、「ツバイシュタイン」という名前のカフェがあります。

また、ル・シッフルも独裁者志向ですよね。もう全然関係ないんですが、ル ・シッフルが自らの野望を告白するシーンで、私の大好きなクリエイターの可哀想に!さんが「韓ドラの見過ぎで『私はこの国の王だ!』しか韓国語喋れない」と言っていたのを思い出し、ふふっと笑ってしまいました。キキちゃん本当にカッコ良いんですけど、どうしてもこの話を思い出して笑ってしまいます。

可哀想に!さんのこのエピソードはこちらの動画から見れます。本当に可哀想に!さん面白すぎて大好きなんですよねえ……。

タカラヅカと政治

本作にとどまらず、宝塚作品には政治的な題材を扱ったものが多々あります。しかしそのどれもが、(個人的な感想ではありますが、)政治を深く取り上げるのではなく、あくまでもドラマチックな背景と化しているような印象を受けます。また、フィナーレがあるのもこのような効果を生む一つの要因かもしれませんね。すごく重めの作品でも、フィナーレではみんな煌びやかな衣装と笑顔で大階段から降りてきて、照明もびかびか光っているので、作中で考えたことを一気に忘れさせる効果があるような気がします。フィナーレのおかげで、どんな演目を見ても劇場を出るときには「すごくキラキラしていて良かった!また来たい!」と思うような気がします。笑

ウエクミ先生はこのような宝塚の曖昧さがあまり好きではなかったのかもしれませんが(今までの発言から推測すると)、実のところ、私は宝塚のこの美しさを愛しています。私が宝塚を好きな理由をどのように言語化すれば良いんだろう……と考えたときに出会ったのが、こちらの言葉。『宝塚という装置』の「宝塚歌劇と『物語』の位相」という論考の中で、稲増龍夫さんが語っていたものです↓

…(前略)…宝塚のスタンスは、「伝えたいメッセージがあるから、ああいうストーリーにした」ではなく、「カッコいいしドラマチックだから、ああいうストーリにした」である。もちろん、作家のなかには、「それでも私にはメッセージがある」と思っている方もいるだろうし、それを否定するつもりはないが、私は、表層美学の世界だからこそ宝塚に魅せられるのである。

稲増, 2009, pp.53-54

激しく同意……!この論考は今から10年以上前に書かれたものなので、最近の演出家については触れられていません。近年の演出家の中にはもちろん強いメッセージ性のある方もいるとは思うのですが、基本的には、稲増さんがいうところの表層美学性があるような気がします。

宝塚を見て、「物語がつまらない」「メッセージ性がない」と思う方もいるかもしれませんが、私は割と「だからなんだ!!」と思ってしまいます。物語を絶対的に信奉するのは近代に毒されているのでは?その点で宝塚はポストモダンじゃん(もちろん今は「ポスト・ポストモダン」だという考え方もありますが)!と、稲増さんのように考えてしまいます。

おわりに

なんだかまとまりのない文章となってしまいました……。

今回の話をまとめると、「『カジノ・ロワイヤル』においては政治的な背景が、真風さんをカッコよく見せるための舞台装置と化しているものの、人間関係が複雑で一度では理解しづらい」ということになるかな?そして「政治を真っ向から扱わないタカラヅカは中途半端ではないのか」という意見に対しては、「前衛的だと考えることもできる」という反論になる、という。このあたりについてはじっくり時間をかけて考えていきたいところです。

また、ウエクミ先生のことも引き合いに出してしまいましたが、私はウエクミ先生大好きです。宝塚的な制約×社会風刺的な作品を志向=ウエクミ先生による、これまでにない独特かつ魅力的な作品が生み出されていたと思うので、退団されてしまって本当に残念です……。『金色の砂漠』を初めて見たときの衝撃が忘れられません。退団後(退団されてからしばらく経っていますが)のご活躍も楽しみにしております!

参考文献

青弓社編集部(2009)『宝塚という装置』東京:青弓社.

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