『ひかりふる路』史実との比較:物語編

ひかりひかりふる路

こんにちは。今回は、『ひかりふる路』の物語と史実を比較していきます。

『ひかりふる路』あらすじ

まず前提を確認しておきましょう。『ひかりふる路』は、1793年1月18日国王裁判から、1794年7月28日テルミドールのクーデターでロベスピエールが失脚するまでを描いています。約1年半の物語を100分弱で描いているということになりますね…! フランス革命ものって1789年から始まる作品が多いと思うので、最初に見たときは「えっここからスタートなんだ」と驚きました。

続いて、『ひかりふる路』の物語がどのように進行するのか、簡単に時系列をまとめてみます。マリー=アンヌとの恋愛は『ひかりふる路』オリジナル創作部分で史実との比較しようがないので、削ります。作品内で明確に日付が宣言されている(めちゃくちゃインパクトある歌ですよね……テストに出たら絶対答えられると思う)国王裁判とテルミドールのクーデター以外の出来事についての日付は不明としておきます。

日付出来事
1793年1月18日国王裁判
イングランドとの同盟決裂。プロイセンとオーストリアが宣戦布告
戦争勃発(戦争をめぐってダントンとロベスピエールが対立)
王党派、反革命派による内乱勃発
ダントンの妻ガブリエル死去
デュムーリエ将軍の裏切り
サン=ジュストがダントンの裏切りを告発(タレーランからの密告による)
ダントン、司法大臣を辞職
ダントンの裏切りにショックを受けたロベスピエール、恐怖政治を宣言
デムーラン、ロベスピエールの恐怖政治に反対
イギリスに亡命していたダントンもロベピを止めるためにパリへ帰還
ロベスピエールとダントンと会食、決裂
ダントンとデムーランの処刑
最高存在の式典
1794年7月28日テルミドールのクーデター
表1『ひかりふる路』時系列

続いて、どこが史実と違うのかをみていきましょう。史実との大きな違いは以下の3つです。

史実との大きな違い

①国王裁判よりも前に諸外国との戦争は始まっている

史実では、1792年3月に開戦論を唱えるジロンド派による内閣が設立。4月20日にジロンド派内閣がオーストリアへ宣戦布告。実際には、国王裁判の始まる1年ほど前から戦争はすでに始まっていました。作品でも描かれていた通り、ロベスピエールは一貫して開戦には断固反対でした。

②ダントンが司法大臣を務めていたのは1792年

ダントンは、8月11日に組閣した第二次ジロンド派内閣で司法大臣を務めていました。しかし、彼の演説(「大胆に〜」で知られる)がきっかけで九月虐殺が起こり、その責任をとるかたちで(あるいは機密費問題?)ダントンは1792年10月には司法大臣を辞職。『ひかりふる路』ではダントンは司法大臣という設定ですが、本当は国王裁判の時期には彼は大臣を務めていません。また、ダントンの妻ガブリエルが亡くなるのはこの直後の1793年2月のこと。

このあたりの出来事を年表にまとめると以下のようになります。

日付出来事
1792年1月2日ロベスピエール、ジャコバンクラブにて反戦演説
1792年1月11日ロベスピエール、ジャコバンクラブにて反戦演説
1792年1月17日ジロンド派の指導者ブリッソー、議会でオーストリアへ宣戦主張
1792年3月23日ジロンド派(開戦論を唱える)による内閣が設立
1792年4月20日ジロンド派内閣、オーストリアへ宣戦布告
1792年6月15(12? 13?)日ルイ十六世、ジロンド派大臣を罷免。フイヤン派内閣設立
1792年8月11(13?)日ジロンド派内閣復活。ダントンが司法大臣就任
1792年9月2-5日ダントンの演説(「大胆に」)がきっかけで九月虐殺起こる
1792年10月10日ダントン司法大臣を辞職
1792年11月13日サン=ジュストの国王処刑演説
1792年12月11日国王裁判始まる
1793年2月10日ダントンの妻ガブリエル死去
1793年1月21日国王処刑
1793年4月2日デュムリエ将軍の裏切り
表2:戦争勃発から国王処刑、デュムリエ将軍の裏切りまで

つまり、『ひかりふる路』では、国王裁判前に起こった出来事を国王裁判後に持ってきて、国王裁判後の史実とも絡めながら物語を進めています。史実とは異なりますが、冒頭に国王裁判をもってくることで観客の注意をひきつけ、その後ダントンが裏切ったショックからロベスピエールが恐怖政治を宣言する、という流れは上手ですよね。

③タレーラン・ペリゴールは亡命中

作中では、夏美ようさん演じるタレーラン・ペリゴールが、自らが頂点に登るために数々の策略を用意し、ロベスピエールを失脚させる、というあらすじになっています。個人的にはこういうキャラクター設定めちゃくちゃ好きなのですが、実は史実ではタレーランはこのときイギリスに亡命中でフランスにはいないんですよね……(作中では亡命中だったがこっそりフランスに帰ってきたことになっている)!ちなみにタレーランがフランスに帰国するのは1796年です。

史実との違い、その他

続いて、他にも気づいた点を上げておきます。

まず、デュムリエ将軍の裏切り以後の出来事をざっと整理しました。現実はとても複雑。。。

日付出来事
1793年4月6日公安委員会成立、ダントンが第1期公安委員を務める
1793年5月30日サン=ジュスト、公安委員会に加わる
1793年6月2日ジロンド派の追放
1793年7月10日ダントン、公安委員を辞任
1793年7月13日シャルロット・コルデー、マラー暗殺
1793年7月20日オランプ・ド・グージュ処刑
1793年7月27日ロベスピエール、公安委員会に参加
1793年9月5日国民公会、恐怖政治採択
1793年9月25日国民公会、公安委員会へ独裁権付与
1793年10月15-16日王妃アントワネットの処刑
1793年10月30日女性の政治参加が禁じられる
1793年11月8日ロラン夫人処刑
1793年12月5日デムーラン、『コルドリエの古株』創刊
(デムーランはここでロベピの恐怖政治批判を行った)
1794年1月ダントン、インド会社事件への関与疑惑。イギリスと和平交渉を進めていた?
1794年4月2日〜ダントン、デムーラン裁判
1794年4月5日ダントン、デムーラン処刑
1794年4月13日リュシル処刑
1794年6月8日最高存在の式典
1794年7月27日テルミドールのクーデター
1794年7月28日ロベスピエール、サン=ジュスト処刑
表3:公安委員会設立からロベスピエール処刑まで

・恐怖政治を始めたのはロベピではない

作中ではダントンの裏切りで失望し、「理想を現実に変えてみせる!」と奮起したロベスピエールが恐怖政治を宣言するという流れになっていますが、実際には恐怖政治をしようと言い出したのはベルトラン・バレール。まあでもこれを描くとなると登場人物が増えて話にまとまりがなくなるでしょうし、わかりやすくするには仕方ないですね。恐怖政治に至るまでの流れは佐藤賢一の『小説フランス革命』がおすすめです。恐怖政治が、民衆や他の議員たちの熱狂に支えられて始まったということがよくわかると思います。ロベスピエール自身がたくさんの人をギロチン送りにしたのは紛れもない事実であり、彼が敵と味方という安易な二分法を信じ切っていたことも否めませんが、恐怖政治という大惨事を招いてしまったのは単に彼が血に飢えた独裁者であったからというわけではないのは強調しておきたいところです。議員たちの中にはもっと容赦無く、というか楽しみ半分で処刑をバンバン行っていたひともいるし、こうして処刑が行われるのを見世物として楽しんでいた民衆もいました。本当に怖いのはこういう何も考えずに時代に押し流される人々であるということを、自戒も込めて胸に刻んでおきたいところです。

・ダントンの裏切りを密告したのはタレーランではない

先ほども述べた通り、そもそもこの時期タレーランはフランスにはいません。ただ、ダントンの処刑を積極的に進めたのがサン=ジュストというのは史実通り。『小説フランス革命』のサン=ジュストは、どうにかしてダントンを処刑しようと証拠の捏造までやっちゃいますからね。怖い。

・リュシルはデムーランとは同時に殺されない

リュシルはデムーランを救うためにお金をばらまいた、通称「リュクサンブールの陰謀」のかどで処刑されます。デムーランが処刑に怯えていたのとは対照的に、「もうすぐ夫に会えるわ!」と嬉々として断頭台へのぼっていったそうです。

・サン=ジュストもロベスピエールと共に死ぬ

テルミドールのクーデターのシーンで、ロベスピエールが「私は私の死を望む」と言ったあとにサン=ジュストは「マクシム!」と叫んだきりフェードアウトしてしまうのですが、史実ではこのとき同時にサン=ジュストも逮捕されます。なんならクートンもルバも弟のオーギュスタンも逮捕されます。ここらへんの展開は胸熱なのでぜひ『ひかりふる路』でも短くても良いので描いてほしかった(ルバとオーギュスタンが自ら自分の逮捕を願い出て絶望するマクシムを見たかった……)。

終わりに

いかがでしたか? 史実との違いについて、気づいた点をざっとまとめてみました(もしかしたら今後加筆するかも)。フランス革命の歴史を調べるとわかるのですが、現実は本当に複雑で、よくこれだけの内容を100分にまとめたな……と改めて生田先生の手腕に感動しました。史実を知ると、より『ひかりふる路』を楽しめるかと思います。ここまで読んでいただきありがとうございました!

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