1789予習:ロベスピエール

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1789初日、どんどん近づいてきましたね〜!今日からは少しずつ1789の登場人物を簡単に紹介していきたいと思います。まずは我らがロベスピエールです!

人生

幼少期

ロベスピエールは1758年5月6日、フランス北部の都市アラスで生まれました。実はロベスピエールは、両親が結婚する前にできてしまった子どもでした。結婚前に子どもを授かるのは、当時のキリスト教的価値観ではアウト。そのため、周りからは心ない言葉をかけられることもあったようです。この経験があったからこそ、ロベスピエールは弁護士となった後、非嫡出子の権利獲得に奔走することになります。

幼少期のロベスピエールは次々と不幸に見舞われます。1764年、ロベスピエールの妹を出産時に母親が亡くなります。妻の死に耐えられなかったロベスピエールの父親は、ロベスピエールたち子どもを置いて家を出て行ってしまいます。ロベスピエールたち兄弟は親戚のもとへ預けられることになりました。親戚の家では穏やかな暮らしを送ったといわれていますが、幼いロベスピエールは家族の長としての責任感を強めていくことになります。

ロベスピエールはとても賢い子どもだったため、奨学金を経てパリのルイ=ル=グラン学院に入学できることになりました。ロベスピエールは勉強に励み、優秀な成績で卒業します。ルイ16世の前でラテン語を読む資格を与えられるほどの優秀さだったそうです。

弁護士に

ロベスピエールはルイ=ル=グラン学院を卒業すると、地元のアラスに戻り弁護士となりました。ちなみに、余った奨学金は弟のオーギュスタンに譲ったそうです。弟思いですね。

弁護士となったロベスピエールは、貧しい人々の人権を守るために奔走します。科学を擁護したり、女性の権利を主張したりと、かなりリベラルな弁護士だったようです。また、余暇には詩を書いたり、地元のサークルに参加したりもしたそうです。あとは鳥を飼っていたみたいですね。

このまま地元の名士として生涯を送っていくかのように見えたロベスピエールですが、時代の荒波はすぐそこまで迫ってきていました。

1789年に三部会招集が決定されると、ロベスピエールは第三身分の議員に立候補します。見事当選した彼は再びパリへ向かいます。

議員時代

社会を変えようと熱い志をもってパリに向かったロベスピエールでしたが、三部会は早々に決裂します。ここらへんは1789でも詳しく描かれているので簡単に説明すると、様々な妨害を受けた平民議員たちは新たに「国民議会」の設立を宣言し、さらに「憲法制定国民議会」に改称。一方、パリの町では民衆の不満が募り、デムーランの演説が発端となってバスティーユ牢獄が陥落。1789年8月には人権宣言が公布されます(1789で描かれるのはここまで)。なんとか人民の自由・平等を勝ち取ったロベスピエールたちでしたが、本当の勝負はここからでした。

ここから先のロベスピエールが気になる方はぜひ『ひかりふる路』をみてください。多少史実とは異なる部分もありますが、あらゆる人々の人権を擁護したロベスピエールがなぜ恐怖政治をするようになってしまったのか、その葛藤の様子がよく描かれています。

『ひかりふる路』を見る余裕はないよ!という方向けに、一応その後のロベスピエールについてさくっとまとめておきます。

封建的特権を廃止し、人権宣言を公布した議員たち。しかし実際にはパリの街の貧困は止まらないためベルサイユ行進は起きるし、国王たちは革命を潰そうと亡命を図るし(ヴァレンヌ逃亡)、諸外国も革命の波が自国に及ばないようにフランスを潰そうとします(戦争勃発)。

最初は立憲君主制を志していたロベスピエールですが、革命に好意的でない国王の姿に落胆し、共和制を志向するようになります。しかし、ロベスピエールの思想はあまりにも急進的すぎました。今でいう社会権のようなものを主張し、どこまでも貧しい人々の味方をしようとしたロベスピエールに、ブルジョワ層は反感を覚えていきます。戦争は起こるわ、内乱も起こるわで「このままでは革命自体が潰れてしまう……!」と危機感を覚えたロベスピエールは恐怖政治に突入していきます(ちなみに、最初に恐怖政治を提唱したのはロベピじゃないよ)。

恐怖政治に反対したのがロベスピエールの友人、ダントンやデムーランでした。2人は様々な方法でロベスピエールを説得しようとしますが、決裂。結局、断頭台へ送られることになってしまったのでした(1789ではロベスピエール、ダントン、デムーラン、そしてロナンの友情が熱く描かれていますが、史実を知っているだけに私は1789の冒頭を見るだけで泣けます)。

ダントンとデムーランを処刑したあと、ロベスピエールは心身の不調に悩まされながらも革命に邁進していきます。しかし「次に殺されるのは自分の番ではないか?」と人々は疑心暗鬼に陥り、(ロベピに比べれば)ほとんど無名の議員たちによって起こされたクーデターがあっさり成功、1794年、ロベスピエールは弟のオーギュスタン、右腕のサン=ジュストとともに処刑されてしまうのでした。

ちなみにロベスピエールを救おうとした市民が蜂起を企てたりするのですが、ロベスピエールは最後まで「その蜂起の法的妥当性は何だ?本当に蜂起をしても良いのか?」と悩み、蜂起を許可せず。サン=ジュストの方はもう終わりを悟ったのか、特に抵抗もせず、あまりにも清々しすぎる最期を迎えるのでした。このあたりが気になった方はぜひ『小説フランス革命』を読んでみてください。

ひととなり

さて、ここまでは教科書チックなロベスピエールの紹介でした。実際のロベスピエールはどんなひとだったのか?面白いエピソードを紹介しますね。

ロベスピエールは自然を愛し、植物を愛するひとでした。食べ物ではコーヒーとオレンジが好きで、鳥と犬を飼っていたみたいです。今でいう「丁寧なくらし」をしていそうな感じです。

また、ハードワーカーでほとんど休む間もなく働いていたようです。

そんな彼にも趣味があって、弁護士時代には詩を書いたり、刺繍をしたりしていたみたいです。ロベスピエールの右腕、サン=ジュストも詩人でしたが、2人でお互いの書いた詩を見せ合ってキャッキャッとはしゃいだこともあったのでしょうか……?妄想が膨らみます。

おわりに

ロベスピエールというと恐怖政治を連想してしまい、拒否反応が出てしまう方も多いと思いますが、なぜ高い理想を持っていたロベスピエールが恐怖政治をしてしまったのかということに思いを巡らせることで、現代を生きるヒントをもらえるかもしれません。

「ロベスピエール=恐怖政治=理解できない」となるのではなく、少しでもロベスピエールに近づくことで、逆説的にロベスピエールの失敗(単純な二部法)を克服し、さらには1789をより楽しめるようになれば幸いです!

関連作品

ロベスピエールの生涯や思想はとても当ブログでは語りきれません。ロベスピエールについては世界中のクリエイターたちが関心を寄せて素晴らしい作品を作っていますので、もっとロベスピエールについて知りたいという方は、以下の作品に触れることをおすすめします。

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もともとは死刑廃止を主張していたロベスピエール。それなのになぜ恐怖政治を行ってしまったのか?どうしてダントンやデムーランと決裂してしまったのか?そんな問いに答えてくれるのが『ひかりふる路』です。

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フランス革命の全貌を知りたい方はぜひ『小説フランス革命』を読んでください。三部会から、ロベスピエールの処刑までが丁寧に描かれています。ダントンとデムーランが断頭台に向かうまでの間の会話が神がかっています。あまりにも切ない。

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ダントンとデムーランの裁判の様子が描かれています。圧巻。

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やはり『ベルサイユのばら』も外せません。キラキラのロベピがでてくるよ。

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