ついに夢叶う
フランス革命に出会って10年、ついに「革命記念日(7/14)をパリで過ごす」という夢を叶えてきました!ちょこちょこロベピのコメントもはさみつつ(!?)、数回に分けて旅の記録をまとめようと思います。
1日目にベルサイユを巡った記事はこちら↓
プロフィール

ベルばらでフランス革命に出会い、1789とひかりふる路でロベスピエールにハマる。自分をロベピだと思い込むことでしか残業に耐えられない。有給を勝ち取り、ついに一人でパリへ降り立った!

マクシミリアン・フランソワ・マリー・イジドール・ド・ロベスピエール。あだ名は「清廉の人」。アラスに生まれ、パリで法学を学び、故郷で弁護士となる。1789年に議員となり高い理想を掲げて邁進するが、恐怖政治に走り(ちなみに恐怖政治はロベピだけの責任ではない)、自身も断頭台の露と消える。
日程
7月12日(土)ベルサイユ宮殿、ベルサイユの聖地巡り
7月13日(日)アンヴァリッド、チュイルリー庭園、カルナヴァレ美術館
7月14日(月) バスティーユ、コンシェルジュリー、 カフェ・プロコップ、オデオン界隈
7月15日(火) オペラ・ガルニエ、アラス(ロベピの故郷)
7月16日(水) パレ・ロワイヤル、サントノレ界隈、贖罪教会
7月17日(木)ルーブル美術館

アンヴァリッドは行くなら7月14日では?
(*1789年7月14日、民衆はアンヴァリッドへ押しかけ武器を奪い、バスティーユを陥落させた)

管理人は革命に前のめりなので前乗りするよ(本当はただのスケジュールの問題)!
アンヴァリッド
2日目はアンヴァリッドへ。良い天気!

入り口にいきなり大砲がドーン(上の写真とは反対側にあります)。アンヴァリッドにはナポレオンが使っていた大砲とか、長州藩の大砲なんかも展示されているそうですが、軍事に疎すぎて何もわかりませんでした…。そのあたりの知識を補強してからまた来たい。

アンヴァリッドはルイ14世が傷病兵たちのために建てた施設(1674年に完成)で、現在も100人ほどが暮らしているとか。傷病兵の方はみかけませんでしたが敷地内にはたくさん軍人さんがいました。
1677年からは教会の建築が始まり、国王と兵士が一緒にミサに参加するためには別々の入り口が必要とのことで、1679年には「兵士の教会」(サン・ルイ教会)が、1706年には「王家の教会」(ドーム教会)が完成。サン・ルイ教会は現在も兵士たちのための教会として使用されており、入場無料。私が行ったときもミサが行われていました。初めてキリエ・エレイソンやグローリアを聴けて感動。こちらがサン・ルイ教会↓

ドーム教会にはナポレオンのお墓があります。生前ナポレオンは、ドーム教会にルイ十四世下の軍人ヴォーバン(Vauban/1633-1707)やテュレンヌ (Turenne/1611-75)の墓を置き軍事霊廟としていたのですが、自身の遺体も1840年に国王ルイ=フィリップの命令によってセント・ヘレナ島からパリに帰還し、ここに眠ることになりました。ちなみに帰還の際、ようやくナポレオンは棺の中から凱旋門を見ることができました。凱旋門はアウステルリッツの戦い(1805年)の戦勝を祝して建設が始まったのですが、完成したのは建設開始から実に30年が経った1836年、ナポレオンが亡くなったあとのことでした。ドーム教会には他にもナポレオンの家族や側近の軍人なども眠っています。こちらがナポレオンの棺↓

すごい迫力でした。ナポレオンは池田理代子先生の『栄光のナポレオン-エロイカ』で読んだことがあるくらいで「なんかすごいひと」くらいの雑な印象しかもたずに行ったのですが、地下のナポレオンの墓を覗き込んだとき、息をのみました。
しかもよく考えたら、自分の推し軍人を祀った教会に家族も自分も眠っているというわけですよね。ナポレオン、やっぱりすごい。

私などカタコンブに放置されて見分けもつかなくなっているというのに……
ナポレオンはジャコバン派で、ロベピの弟のオーギュスタンはナポレオンを高く評価していました。しかしこのせいでナポレオンもロベピ一派の失脚後に逮捕され収監、降格処分となっています。
佐藤賢一の『ナポレオン』には、南仏にいるナポレオンがオーギュスタンから「アンリオの代わりに国民衛兵隊の司令官についてほしい」と打診されるシーンがあります。ナポレオンはこれを断るのですが、もしこれが史実で、そしてもしナポレオンがこの申し出を承諾していたら…と考えてしまいますね。
教会を見て回ったあとは軍事博物館へ!中世から第二次世界大戦までの武器や軍服が展示されています。あまり時間がなかったので、私はルイ十六世の頃から第二次世界大戦までのみ見学しました。オスカル様もこんなものを持っていたのかもしれない♡と妄想が捗る収蔵品がたくさんありました。
そしてやっぱりナポレオンの時代の軍服はかっこ良い〜!その後どんどん軍服が簡素になっていって、第二次世界大戦くらいになると完全にヒト=駒にすぎない、みたいになってしまってげんなり。そもそもいつの時代も戦争って幹部を除く大多数の人間が数として扱われるものだろうに、どうしてこんなことを思っちゃうのかなあと不思議な気持ちになりました。もうちょっと戦争一般について調べてみたいところです。

ちなみに私は革命戦争には反対でした
展示の終わりには軍服を着て写真をとれるスポットがあったり、あなたはナチス占領下のパリでレジスタンスをしています!仲間にモールス信号をうってみましょう!みたいな体験コーナーもあったりと面白かったです。
チュイルリー庭園
早足で軍事博物館を見終えたあとはチュイルリー庭園へ。本日7月13日はアンドレ・グランディエがチュイルリーで亡くなった日なのです…!

遊園地も併設されていてにぎやか。それ大丈夫なの!?と見ていて不安になるようなスリリングすぎるアトラクションがありました。ロベピは多分乗れないと思う。私も無理。

現在は公園になっていますが、かつてここには宮殿がありました。チュイルリー宮殿は1563年にカトリーヌ・ド・メディシスの命によって建造が始まり、ルイ十四世の治世になって完成。しかし1683年に王宮がヴェルサイユ宮殿に移ったため、しばらく使われずに放置されていました。
1789年10月、ベルサイユ行進によりルイ十六世一家はパリに移り、このチュイルリー宮殿を居所とします。1791年10月からはここで立法議会も開催されるようになりました。

つまり私の職場
1792年8月10日にはパリの民衆と軍隊がチュイルリー宮殿を襲撃し、王権停止となります。ここから革命は新たな段階に入っていくのです。
1794年6月8日にはここチュイルリー宮殿とシャン・ド・マルス公園でロベピが最高存在の祭典を開催。さらに1800年にはナポレオンがここを公邸とする…など、フランス革命ファンにとってはたまらない場所です。
そんなチュイルリー宮殿は1871年に焼失し、現在は庭園を残すのみとなっています。遊園地があったり、2024年オリンピックの気球型聖火台があったり(最初見たときなんだこの気球は、と思ったのですが、どうやら毎年夏限定で設置されるらしいです)と、だいぶ昔とは雰囲気が変わっていると思いますが、アンドレ終焉の地、そしてロベピが足繁く通っていたであろう地に行けて幸せでした。それから暑すぎてへとへとだったので木陰で日焼け止めを塗り直しつつ休憩できたのも良かった。ロベピはここで死闘を繰り広げていたというのに、のんきなものです。

カルナヴァレ美術館
午後はカルナヴァレ美術館へ。
カルナヴァレ美術館は歴史博物館とも呼ばれており、先史時代から現在までのパリの歴史を辿ることができます。建物自体の歴史も古く、建造は1548年。17世紀中頃にフランソワ・マンサールが改装し、セヴィニエ夫人が住んでいたそうです。1866年にこの館をパリ市が買い取り、カルナヴァレ美術館が誕生しました。
カルナヴァレ美術館といえばかの鹿島茂氏が「嫉妬で気が狂いそうになる」というほど優れたコレクションで知られています(なのに常設展は無料。オタクがいう「実質無料」ではなく、本当に無料なのです!!)。鹿島氏はオークションでカルナヴァレ美術館と競り合い、金額では勝ったのに「国外には持ち出せない」というルールを出されて負けたことがあるとか。「くそっ!19世紀に生まれていたらカルナヴァレ美術館が購入する前に買えたのに!」と語気強めに悔しがっていて笑ってしまいました。詳しくは同氏の『パリの本屋さん』を参照。
さて。そんな鹿島氏でさえ羨ましがるほどのコレクションを早足で駆け抜けながら、フランス革命期の展示へ向かっていきます。本当は他の時代もじっくりみたい。18世紀の内装を再現した部屋とか本当に素敵なんですよう。私も家にハープ置きたい。がしかしそんなことを言っている場合ではないのです。こちらは旅行者の身、なにぶん時間が足りない!
フランス革命期の展示は3階にあります。人権宣言!球技場の誓い!!ルイ十六世一家のタンプル塔での暮らしを再現した部屋!!!などなど有名どころが目白押し。どうせ有名どころだから図録に載ってるでしょ〜と思ってあまり写真を撮らなかったのですが、実際図録を購入してみたら案外載ってなかったのでビビッときたものは自分で撮影することをお勧めします。後悔。
当時町に飾られていたという軍隊の人形も展示されているんですが、どうやらこれが軍隊に勧誘するために置かれていたそうで。これを見てカッコ良い!俺も軍隊に入る!となったんでしょうか…?

(ちなみにキャプションの横にあるのは地元?の子どもが描いた絵で、割と多くの作品に子どもの絵も展示されていました。こんな素晴らしいコレクションに子どもの頃から触れられるなんて羨ましいです。)
まあでもともかくこれをロベピも見ていたのかもしれない。ロベピが見たかもしれない人形。目に焼き付けて次の部屋へ進んでいきます。
そしてようやく…ででん!


ツイニアエタネ!!
我らがロベスピエール先生の登場です!!隣にはサン=ジュストの肖像画。しかも今回はサン=ジュストの使っていたピストルまで展示されていました。こ、これにサン=ジュストが触って、撃っていたんか…とオタクはしばし立ち尽くしてしまいました。
こんな感じで展示されていました。なんかロベピの右下の絵がホラーっぽくみえますね…。

この写真が飾られている部屋は一室全体が革命家ゾーンのようになっていて、デムーランとリュシル(もちろん隣同士)、ダントン、マラーの肖像画もあります。マラーなんて胸像まで置かれていた。今回は展示されていませんでしたが、マラーの浴室のドアノブなんかも所蔵されているらしいです。さすが人民の友。革命裁判所に送り込まれたはずが勝訴して市民に肩車されながら国会に凱旋しただけあるわ。

私なんて裁判もなかったのに

知らぬ間に法の外に置かれちゃってたからね
そして私が割と一番興奮したのがクートンの車椅子!さすがに大砲はついてなかったですが、これに乗っていたのね😭となんだか一気にクートンが身近になりました。背後には暗殺されたマラーさん。

テルミドールのクーデターの際にロベピが”Ro”まで書いて血痕が残っているあの有名な書類をこの目で見たかったのですが、残念ながら今回は展示されていませんでした。見れるまで通う所存。
ていうかカルナヴァレのコレクションをオンラインで検索すると、ロベスピエール関連所蔵品がたくさん出てくるんですけど涙 ロベスピエール回顧展とかやってほしい。
革命にひたって胸いっぱいになりながら出口へ向かいます。その道中でもプルーストの部屋や、ミュシャがデザインしたフーケ宝飾店の内装、ル・シャ・ノワールの看板など、心惹かれるものがたくさんありました。ここに住みたいです。
2日目終了
閉館時間までカルナヴァレ美術館を堪能したあとはモンパルナスのブイヨン・シャルティエへ!20人くらい並んでいましたが、回転が早く15分くらいで入れました。
名物の野菜スープは売り切れだったので、ウフ・マヨネーズと鴨のコンフィをいただきました。外がパリッとしていてとても美味しかったです!内装もアール・ヌーヴォーで素敵でした。
そのあとはまたモノプリに寄り道して帰宅。コンビニ感覚で寄りがち。ついに明日は運命の日、7月14日です!次回パリ編2日目に続く。
参考文献
池田理代子『栄光のナポレオン-エロイカ』
鹿島茂『パリの本屋さん』
佐藤賢一『ナポレオン』



